「 “美術”ができなかった自分を変えたもの 」2020年グランプリ受賞・古沢菜月さん(長岡造形大学)

コンテストに参加することが、どんな未来につながるのだろう。
2020年に行われた米百俵デジタルコンテスト第1回のグランプリに選ばれた古沢菜月さん。
受賞当時は長岡造形大学4年生で卒業間近だった。現在彼女は上京し、
ヤフー株式会社にてショッピングサービスのUI・UXデザイナーとして働いている。
「高校時代は、デジタル系に進む可能性なんてゼロだった」と話す彼女が、
美大でもがきながら掴んだひとつのチャンス。そこからつながったいまの仕事。
これは地方に暮らした若者が、飛び立つまでのひとつのストーリー。

デザインへの挫折とUIとの出会い

インタビューをしたのは2021年6月。働き始めて3ヶ月。ほぼリモートワークだという彼女の一人暮らしの自宅を訪ねた。「なぞなぞソープ」で米100DC2020のグランプリを受賞した彼女は、「JAGDA 国際学生ポスターアワード金賞」(2019年)など、さまざまなコンテストの受賞歴を持つ。在学中にはアイデアソンやインターンに参加したとも聞いていたから、小さい頃から絵が得意だったり、ものづくりが好きだったりする、とてもアグレッシブな美大生だろうと思っていた。

子どもの頃は、いつもぽわーんとしていたみたいです。ピアノとかギターとか習いごとをしてもどれも続かず、親はこの子は将来どうなるんだろう、ってめちゃめちゃ心配だったと聞きました。絵がすごく好きだったということもなく、熱中したものもないですね。ただ、ずっと「なにかつくりたい」という気持ちはありました。金属加工で有名な「燕三条」の新潟県燕市出身で、ものづくりに関わる職人さんたちがまわりに多かったからですかね。周りはどこまでも続く田んぼと山。ドラマの「下町ロケット」を見たことありますか?まさにあんな感じです。

保育園の卒園アルバムの将来の夢に「デザイナー」と書いたという彼女。小学生ではファッションデザイナー、中学生ではプロダクトデザイナーと、漠然と「なにかつくりたい」という気持ちを持ち続けた。そして、美術大学を目指す。家族からの県内で進学して欲しいという希望もあり、長岡造形大学を第一志望にした。

中高一貫のわりと進学校にいたので、同級生の多くは県外の四年制大学に進む子たちばかり。先生も困ってましたね。どう進路指導したらいいかわからないっていう感じで。学校ではじめての美大受験だったんです。勉強もそんなに得意じゃなかったから、「造形大の入試は、推薦と一般で合計4回チャンスがある。全部受けろ!」って言われて。苦笑 推薦入試(当時)でなんとか合格できました。

2017年に長岡造形大学造形学部視覚デザイン学科に入学。しかし大学1年生の最初の授業で心が折れる。「基礎造形実習」だ。あらゆる造形活動の基礎となる「観る」「描く」「創る」を、デッサンや色彩・立体構成などの実習を通して学ぶ授業。「極端にできなかった」と振り返る。

まわりのみんなが上手なんですよ。美術高校から来た子もいたし。もちろん何も美術を知らないから基礎を学ぶんですけど、私、あんなにデザイナーになりたいとか言ってたのに、向いてないわ、って。心が折れました。ほんとに苦しかった。

上京した高校時代の友達のキラキラした生活をSNSでみながら、地元で美術ができない自分に焦る毎日。そんな大学1年生の秋、担当教授から勧められ応募したコンペティション「学生ICTビジネスアイデアコンテスト2017 in長岡」で、グランプリと優秀賞を受賞する。

すごくモヤモヤしていた時期でした。美大に入学したものの美術っぽいものは苦手だし、夏休みに参加していたアイデアソンもうまくいかなくてすごく悔しくて。その気持ちを、研究室の教授に伝えたら「こんなコンペあるよ」って教えてもらったんです。受賞したのは「VEGEMATE」という野菜直売所のアプリ。野菜の取引を通して、地域活性化や地産地消を促すアイデアでした。
この時初めてUI(User Interface)という言葉を知ったんですよね。そんな感じだから、提案資料やデモ用のモックアップをつくるのに苦労しました。睡眠時間を削って、先生や先輩にアドバイスをもらいながらやっとかたちにして。大変だったけど、すごく楽しかった。結果、W受賞で、いい結果になるんですけど。
このとき、大学の授業で今やっていることがすべてではないんだ、今できないからってデザイナーを諦めるのはちょっと早いなって。そう気づいて救われましたね。ずっと、デザインするというのを、いわゆる美術みたいなイメージでいたら、つらい気持ちのままだったと思うし、いまこの仕事に就いていないと思います。

ここが「はじまり」になった。コンペへの参加をきっかけに、UIから、体験をデザインするUX(User Experience)へと、関心が広がっていく。グラフィックデザインに苦手意識はあったが、視覚デザイン学科では、Web・アプリなどのデジタル系のほか広告やマーケティングなどの科目も履修できた。そして大学2年生後期。この頃には、UIデザイナーになりたいと思い始めていたが、また彼女に苦しい時期が訪れる。

2年生から3年生になる春休み前、自信があったコンペに落選、すごく行きたかった企業の春のインターンには書類通過したのに面接で落選、ダブルパンチですっごく落ち込んで。春休みの計画はズタズタ、2週間くらい何をする気力もない日々を送っていました。苦笑 でもこのままじゃダメだ、なにかやろうって。そこで、はじめたのがUIトレースです。

現在もそのときの記録は、彼女のnote.で公開されている。きっかけは、2年生の秋に受けていたWEBデザインの授業。そのときの課題は、TwitterやYouTubeなどいくつかのアプリから1つ選んでトレースするというものだった。彼女はその課題を、ひとりだけすべてのアプリをトレースし、教授を驚かせる。授業のときは、手書きで紙にまとめていたが、note.では、それを発展させた。春休みの間、週1回トレースを発表し、その後、UI分解、UI比較と、自分なりにUIへの学びを深めた。

楽しいと思ったことをひたすらやるスタイルですね。1年生のビジネスコンテストのときUIに出会って、そこから勉強はしたけど、画面デザインするにしても、圧倒的にインプットが足りないなと感じていて。インプットがなければアウトプットもできないじゃないですか。
このUIトレースはその後、就職活動でも役立ちました。面接官にも好評で、「トレースしてた子だよね」って覚えてもらえましたね。わたし、これを「言語化」の練習にもしてたんです。口下手で、文章も苦手という意識がずっとあったから、UIを分析してまとめることで、伝え方がうまくなりたいと思って。それはいま仕事をしていても、エンジニアの方に指示を出すような状況で、的確に伝えないとダメだと痛感しているので、まだまだ練習中ですけど。これが言語化についてちゃんと考えて、学ぶきっかけになりました。

過去の自分が教えてくれることが必ずある

造形大の4年生は、すべての時間を「卒業研究」にあてる(その紆余曲折も彼女のnote.にまとめてあるからぜひ読んでほしい)。卒研も終盤の2020年10月、応募を開始したのが米100DCだった。

11月の半ばくらいに米100DCのことを知って。小学生が投票してグランプリを決めるのが新鮮だし、応募したい、でも卒研あるし時間がない、でも気になる、みたいな葛藤を1週間くらいして。そういえば、過去に授業の課題で考えたものが使えるかもって思い出して。本当に締切ギリギリ、ダメ元で応募したんです。

グランプリを受賞した「なぞなぞソープ」は、手洗いの時間になぞなぞが出題されるソープディスペンサーだ。応募時は「ドレミソープ」というタイトルで、手洗いの30秒間に音楽が流れるアイデア。コンセプトは変わらないが、「なぞなぞ」ではなかった。

一次審査を通過したあと、審査員3人の方から送られた講評を素直に受け取ってブラッシュアップしました。それぞれの視点が勉強になりましたね。その中に「生活の流れの中に、このプロダクトがあったら何ができるのかもっと考えて」「30秒、子どもをひきつけるコンテンツは何か」と書かれてありました。そこで、自分が小学生の頃を思い返したんです。学校から家に帰ってきて、手を洗って、親に今日何やったのとか聞かれてもしゃべりたくないことがあったなって。「ドレミソープ」はひとりで完結するアイデアだったけど、手を洗ったあとに家族と話が広がるようなもの、自分から喋りたくなるような、コミュニケーションとれるコンテンツになればいいと思って「なぞなぞ」という要素を追加しました。
結果グランプリを受賞して、投票してくれた小学生からのコメントも読んだんですけど、おもしろかったですね。今の小学生ってこう考えているんだって。自分も小学生だったけど、今と昔で同じ点と、違う点と、ユーザー視点をリアルに感じられたのも学びになりました。

ブラッシュアップの期間があることは米100DCの特徴だが、それを生かして、よりよい作品になった。審査員からも、一次審査と二次審査での進化を大きく評価されていた。

嬉しいですね。困ったときには、「過去の自分を振り返る」っていうのはいつも意識しているので、自分の小学生時代を振り返ってみたのがよかったのかも。卒研のテーマも1年生の時のビジネスコンテストを振り返ってできたものですし。自分が好きなものとか、この時のあれと、あのときのこれを組み合わせてみたらどうかなって、過去の自分が教えてくれる気がします。UIトレースで、インプットがなければアウトプットができないっていう話をしましたけど、似たような話で、経験値が高ければ高いほど、アイデアの幅も広がると思うんです。
私は、いろんなコンテストに参加して、嬉しい思いも、悔しい思いもしてきたけれど、失敗を恐れず、どんどんチャレンジしていくと、いろんな経験がたまって、いつか役立つ日がくると実感しています。

米100DCグランプリの賞金で、新しい家でのソファーを購入したという彼女。新潟で生まれ、暮らし、いま東京で「UIデザイナー」になった。「大学1年生の時と同じくらい、自分のできなさに落ち込んでいます」と笑うが、苦しさや悲しさは感じられない。

一緒に働いている方々がほんとにすてきで、いい会社に入ったなって思います。今いる部署だけではなく、他の部署の人と1on1で話せる仕組みがあって、違う仕事について知ると、どれも面白そうだなって。飽きっぽい性格=好奇心旺盛な自分には、提供するサービスが多様なヤフーはいい環境だなと思いますね。学ぶことがいっぱいで、毎日刺激的です。
美大進学もいま考えると、「デザイン」を広くとらえて、いろいろな分野に触れて学ぶことができたので、合ってたんだと思います。高校時代はデジタルなんて、ちょっと情報の授業でコードを触ったくらい。嫌いとさえ思ってましたから。UIデザイナーになるなんてびっくりですよね。

これからのことを聞くと、22歳の初々しい答えが返ってきた。

仕事がおもしろくてしょうがないんです。やりたかった分野ですし、一生懸命がんばるだけですね。ショッピングサービス所属なので、インターネットを使った買い物のハードルを下げて、いろんな人にもっと便利に楽しんでもらえるサービスをつくっていきます。そして、ずっと憧れだった都会の生活を満喫したいです!
長岡や燕など、地元のことにも関われたらいいですね。農作物の生産者さんや職人さんなど、学生時代からつくり手の方へ関心があるので、そのお手伝いもしたい。コロナ禍によってリモートでできることも増えたので、いる場所にとらわれず、できることをやってみたいです。大きな目標は、「世界の人を幸せにする」「新しい当たり前をつくる」。生活に近いアプリの分野で、UI・UXのデザインを続けていきます。

なにをやってもうまくいかない時期は誰にでも訪れるだろう。そのとき、どう動くのか。コンテストに参加したり、学びはじめたり、そうやってもがいた経験が彼女を強くしている。
その笑顔の先に、きっと新しい当たり前が待っているはずだ。

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